自称廃墟カメラマンなんですが、体調不良になって以来、廃墟と遠ざかっています。で、体調もほぼ回復したので、久しぶりにどこかへ行ってみたいなと思って、兵庫県加西市の鶉野飛行場跡に行ってみました。
第二次世界大戦中の1942年に着工し翌43年に完成した、旧日本海軍姫路航空隊の飛行場です。主にパイロットの養成に使用されていたそうです。飛行場の南西に、川西航空機(現在の新明和工業)の工場があり、紫電、紫電改等の戦闘機が組立られていました。
第二次世界大戦後は2016年まで、陸上自衛隊の訓練地になってましたが、現在は加西市に払い下げられています。
滑走路は、ほぼそのまま残ってますが、道路で分断されて、固定翼機を飛ばすことはできません。周囲に、防空壕や銃座等が残っていますが、民間の土地や神戸大学の敷地内だったりで、すべてを見て回ることはできません。
近年、加西市が観光施設として整備を進めています。廃墟というより、戦争遺構と言ったところでしょうか。
滑走路の跡地の周囲は、住宅や工場が立ち並んでいます。予備知識がないと、ただの広い空き地にしか見えません。
滑走路の横に、一本だけ大きな銀杏の木がありました。銀杏の樹齢には詳しくないのですが、ずっと昔から、移り変わる情景を見つめながらここに立っていたのでしょうか。
滑走路の横に、平和記念碑が建立されています。
終戦前の昭和20年、パイロットの練習生による特攻隊、白鷺隊が編成され60余名の若い命が失われました。
実物大の紫電改の模型が展示してある資料館があります。地元のボランティアの方の運営のため、オープンは毎月第1、3日曜日のみとなってます。この日は外から眺めました。
滑走路から少し離れた場所に、防空壕等が点在しています。事前に予約すると、地元のボランティアの方に案内してもらえるようです。
こちらは弾薬庫。
機関銃の銃座です。土に埋もれていたのを掘り起こしたらしいです。
明治時代の要塞のような戦争遺構は、ほとんどが実戦を行うこともなく終戦を迎えているので、どことなく長閑な雰囲気だと思うのですが、こちらは、戦闘機の製造工場と基地ともに、米軍の攻撃対象になって、実際に戦闘を行っているので生々しい記憶の戦争遺構だと思います。
飛行場だったころの遺構が点在していますが、けっこう広範囲に散らばっているので、車で行くか、北条鉄道でレンタサイクルを借りて巡るかしないと、徒歩で見てあるくのはきついと思います。
飛行場の資料館のとなりに、cafe de 70というカフェがあります。そちらでランチを頂きました。人気店のようで、祝日のランチタイム、ほぼ満席でランチメニューが売り切れ続出でした。
エビフライのランチです。非常に美味しかったです。
滑走路から少し離れた畑に、黄色い練習機が放置してありました。鶉野飛行場跡は、陸上自衛隊の訓練場だったのですが、海上自衛隊の練習機のようです。周囲に何もない場所にポツンと置いてありました。説明板も何もないので由来もわかりません。
すぐ前の用水路で、近所(多分)のおじいさん達がしじみを捕っていました。廃車が放置してあるのはやく見かけますが、飛行機は… ちょっとシュールな光景でした。
時間がちょっと早かったので紅葉を見に、近くの羅漢寺にいってみることにしました。五百羅漢のお寺です。
紅葉は見頃になってました。毎年、勤労感謝の日の前後の3日間にライトアップをしてるそうです。夏には灯明もあるし、夜は幻想的な光景になるんでしょうね。
こじんまりとしたお寺なので、全山紅葉といったスケールはありませんが、素朴な石仏と紅葉の組み合わせが、何とも和んでいい感じです。
丁度、見頃になってます。
前週に行った、姫路が観光客でいっぱいでしたが、こちらは、あまり人がいなくてゆっくり見て回れます。
紅葉も見頃で、広い滑走路に一人で秋を存分に楽しみました。これから、野山は、やや色彩がモノクロームに近づいていくので、貴重な赤でした。次は、どこかで雪景色を見たいなと、気の早い事を考えてしまいました。