おっさんのお出かけ日記

普段はあまりお金は使わず、格安に旅行をしています。近場でぶらぶらしてる時も多いです。たまに子供(全員成人ですが)と出かけます。ブログに出先で撮った写真をまとめています。時系列はランダムです。

2022年7月 岡山 廃線跡のサイクリングロード

2022年7月、猛暑の日々が続いてましたが、岡山県備前市の片上鉄道の廃線跡に行ってみました。

1923年に開業した同和鉱業片上鉄道、JR赤穂線 片上駅付近から柳原駅まで33.8㎞、17駅の鉱山鉄道でした。

かつて、日本有数の硫化鉄鉱を産出した柳原鉱山の鉱石を運搬する鉄道でしたが、1991年、柳原鉱山の閉山と共に廃止になりました。

現在は、柳原鉱山近くの吉ケ原駅付近が柳原ふれあい公園、廃線跡は片上ロマン街道というサイクリングロードになっています。

柳原ふれあい公園の近くに、「らん」という地産地消の卵かけごはん専門店があり、そこに行ってみようと思いましたが、普通に車で行っても面白くないので、サイクリングロードを自転車で行ってみる事にしました。

 

 

本来なら、JR赤穂線の片上駅からスタートですが、連日気温が35℃を超える猛暑日が続いているので、市街地の走行は避けて、JR山陽本線 和気駅からショートカットのスタートです。

 

 

走り始めて間もなくすると、天瀬駅跡に着きます。

ホームが保存されていて、鉄道だった頃の面影をよく伝えています。

このサイクリングロード、非常に人気が高くて桜や紅葉の季節には多くのサイクリストやファミリーが訪れるようですが、さすがにこの猛暑では走ってる人は少なく、時折、ガチなウェアで固めた修行僧のようなロードバイカーが通っていく程度です。

 

 

 

 

トンネルや鉄橋等、鉄道として稼働していた頃の雰囲気がよく残っているサイクリングロードですが、暑くて写真を撮るのを忘れました。

 

 

 

 

 

wakegenic.jp

 

走り始めて2時間程で、柳原ふれあい公園に到着です。

途中で吉井川と並行して走る区間があるので、川から吹く風で少し涼しくなります。

駅舎とホーム、線路が保存されてます。近くに鉱山資料館もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームには、片上鉄道で使用していた車輌が保存してあって、一部は車内にも立入る事ができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

www.okayama-kanko.jp

 

古い駅舎や車両、改札等で郷愁にひたった後は、今日の目的、卵かけご飯を食べに行きます。

ふれあい公園公園の駅舎から歩いて5分程度でお店に着きます。

 

 

土日祝日限定で営業してる、食材は全て町内で生産された物を使っている地産地消のお店だそうです。

メニューは卵かけご飯定食のみです。おかわりの卵とご飯はありました。

 

 

 

タレを6種類から選べます。

何度か来た事があるので、お店の特製黄ニラにのタレ一択です。美味しい。

 

 

 

目的の卵かけご飯を食べたので、納得して帰りました。

往復約50㎞、暑くなければちょうどいいサイクリングルートでした。


www.cocolocala.jp

 

 

 

 

 

 

2021年12月 加東 播州清水寺の紅葉と東条湖の廃墟

今年はなかなか紅葉しないので、去年の紅葉を投稿します。

兵庫県加東市にある播州清水寺です。

西国第二十五霊場天台宗の山寺です。1800年前に建造されたそうです。

広大な山寺で紅葉の名所です。

寺社仏閣に行く事があまり無いのですが、紅葉シーズンだけ出かけています。

紅葉しか見てなかったので、今回は文章は少な目です。

 

 

 

 

 

 



 

 

銀杏の絨毯が美しいです。

 

 

 

 

 

水に浮かぶ紅葉した葉っぱがきれいです。

 

 

 

 

 

 

 

播州清水寺の景色のハイライト、廃ポストです。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

湧水の井戸があるというのが、清水寺の由来だそうです。

 

 

帰りに、東条湖というダム湖に立ち寄ってみました。

1969年から2000年まで、東条湖ランドという関西有数のレジャー施設がありました。

若者向けの絶叫マシンを揃えて人気の施設でしたが、1995年にレインボーというジェットコースターで死亡事故が発生して、設備の老朽化、来場者数の減少等の要因が重なり、2000年に閉園になりました。跡地はおもちゃ王国というレジャー施設になっています。

かつて湖上にはデキシークイーン号というウエスタン調の遊覧船が浮かび、湖畔にはレストランや食堂、ホテル、土産物屋、貸しボート等の観光地の施設一式が揃ってましたが、全てが廃墟になっています。

 

 

 

 

 

コックボートというレストランだったみたいです。

お洒落な外観。

 

 

 

 

囲炉裏茶屋という焼肉等が名物だった店のようです。

 

 

 

土産物屋のようです。絡まる草が廃墟になって長い事を物語っています。

 

 

 

 

かつての遊覧船の桟橋だった場所のようです。貸しボートもあったようです。

 

 

 

 

デキシークイーンが無くなった後に運行していたのか、スワン型の遊覧船が放置してあります。

寂しい景色になっています。

全国の至る所にある寂れた昭和の観光地。

見に行った事はないのですが、付近に別荘地もあるそうです。観光地の寂れ方を見てると、空き地の多い、廃屋が並ぶ別荘地なんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

2022年10月 加西 北条鉄道と飛行場跡

2022年10月、兵庫県加西市内を走るローカル三セク、北条鉄道に乗りに行ってみました。北条鉄道、JR加古川線と接続する小野市、粟生駅から加西市の北条駅までの13.6㎞、駅が8つの小さな三セクです。1985年に国鉄北条線が三セク化されて北条鉄道が誕生しました。

普段はこの路線には、JR神戸線~JR加古川線を乗り継いで来ますが、この日は右手を骨折してギプスを巻いていたため駅まで行くのが面倒で、車で北条までやって来ました。

何度も来てるので駅は見慣れた景色です。

北条駅の横の駐車場に車を停めて、フリー切符(1000円)を買って乗車です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月に、JR東日本からキハ40を購入したので、それを見に来ました。

新しい車輌。

東北地方の五能線を走っていた車輌で、製造は約40年前に製造された車輌です。車体は300万円だったそうですが、修理費、調整費、輸送費で2900万円になったそうです。

毎日は運行していないらしく、イベント等で使われてるのかも知れません。

ボディカラーは五能線当時のままです。

 

 

 

列車の到着です。北条鉄道は、3両+キハ40の4両体制で運行されています。

1両だけの車両が、郊外の風景の中を走ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

終点の粟生駅。JR加古川線と接続しています。

ここで折り返します。

 

 

 

法華口駅で途中下車してみました。

映画のセットのような古い駅舎です。

 

 

駅舎は米粉を使ったベーカリーショップになっています。

簡単な椅子とテーブルが置いてあって店内で食べることもできます。

 

 

 

 

 

 

www.ekiten.jp

 

 

 

北条鉄道唯一の交換設備のある駅です。

架線の無い線路は、開放感に満ちています。

 

 

 

 

www.hojorailway.jp

 

北条駅に戻って車を取りに行って、一駅となりの播磨横田駅近くの曼珠沙華を見に行きました。

満開でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま帰ってもよかったんですが、近くにある鶉野飛行場跡に行ってみました。

もう何度も行ってますが、滑走路跡の寂寥感が何とも言えなくて、つい足を運んでしまいます。

畑の中の無蓋掩体壕だった場所に、海上自衛隊の練習機が置いてあります。以前は黄色の塗装でしたが、現在は海軍カラーの緑になっています。

 

 

 

 

 

以前は月に2回程度、紫電改のレプリカを展示していましたがミュージアムができていて、常設展示になっていました。

九七式艦上攻撃機が増えています。

旧海軍鶉野飛行場の近くに川西航空機(現在の新明和工業)の航空機製造工場があって、九七式や紫電改を製造していました。特に紫電改は、第二次世界大戦終戦間際に製造された戦闘機ですが、当時では突出した高性能な戦闘機だったようです。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

旧海軍鶉野飛行場、約1200mの滑走路がありました。主にパイロットの育成や近くの川西航空機のテスト飛行に使われていたようです。

第二次世界大戦の末期には、ここからも白鷺隊という特攻隊が出撃して60余名の若い命を散らしています。

 

 

鶉野飛行場跡、かつては陸上自衛隊が訓練施設に使っていたようですが、2016年に加西市に払い下げられ、史跡として整備されています。

周囲には防空壕や銃座等の戦争遺構が点在しています。

 

 

 

 

広い滑走路跡は、現在は道路がいくつか横断していて、固定翼機の発着は不可能になっています。

滑走路脇では、コスモスが風に揺れていました。

 

 

 

 

 

 

 

www.sorakasai.jp

 

2022年8月 広島 尾道の廃墟とうさぎの島 その2

前日に尾道うずしお観光ビルに行き、時間が早かったので結局三原で泊まって大久野島に行くことにしました。大久野島は2回目です。

三原から呉線忠海駅でおりてフェリーに乗船します。

 

 

大久野島は、島全体が休暇村になっていて、宿泊施設やレストランを中心にキャンプ場、スポーツ施設、海水浴場、釣り場等多様なレジャー施設があるリゾートアイランドです。

多数のうさぎが生息する、うさぎの島でも有名です。

この島、かつては愛媛県の小島と共に芸予要塞として瀬戸内海の防衛を担っていました。明治時代に建設された要塞で、煉瓦造りの砲台跡や弾薬庫跡などが存在しています。

第二次世界大戦が終了するまでは一般市民は立ち入れない島でした。

1929年から1945年まで、毒ガスの研究施設と製造工場があり、一時は島の存在が地図から抹消されていたそうです。

島には毒ガス資料館があり、毒ガス工場の設備が点在しています。

 

 

宿泊施設のある管理棟で、自転車を借りて出発です。

レンタサイクルは2時間限定なので、あちこち見て回るのは結構忙しいです。

島の外周がサイクリングロードになっていて、けっこうアップダウンがあるので、電動自転車が威力を発揮します。

 

 

キャベツも昨日のうちに買っておきました。

キャベツを持って歩いてると、うさぎ達が歓迎してくれます。

 

 

 

 

以前来た時は、桜が咲いている季節だったのでうさぎ達も元気でしたが、8月の猛暑には耐えられないのか、全員日影に避難してました。

 

 

 

防空壕の入口。

防空壕にも、幹部用と一般用があったそうです。

 

 

 

 

 

毒ガスの貯蔵庫跡です。地面のコンクリートはタンクの台座でしょうか。

 

 

 

 

夏の瀬戸内海。穏やかな海です。

 

 

 

 

 

かつての毒ガス工場の廃墟に遊ぶうさぎ達、ちょっとシュールな光景です。

貯蔵庫の壁が所々が焼け焦げてるのは、第二次世界大戦終結後にこの施設を接収した米軍が、火炎放射器で焼き払った跡だそうです。

 

 

 

 

 

 

毒ガス工場の関連の施設跡は主に海岸近くにありますが、要塞跡はやや内陸にあります。

一番大きな砲台跡や要塞の中心施設につながる歩道が、ことごとく通行止めになっていました。台風の被害でもあったんでしょうか。

今回見たかった弾薬庫や兵舎、砲台跡にはたどり着けませんでした。

 

 

 

外周道路から近い場所にある砲台跡です。

いい感じで朽ちていってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発電所跡です。かなり大きな建物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の桟橋跡です。

 

 

 

 

フェリー桟橋の近くに、朽ちた神社があります。

鉱山跡にも神社の廃墟がありますが、いつも諸行無常という言葉が思い浮かびます。

台風が直撃したのか、以前より荒れています。

 

 

 

 

 

 

最後に灯台に立ち寄って、大久野島を後にしました。

さらば、うさぎ達。また会う日まで。

 

 

 

 

www.qkamura.or.jp

 

 

2022年8月 広島 尾道の廃墟とうさぎの島 その1

青春18きっぷを使って尾道に行ってみました。

青春18きっぷの場合、姫路から岡山までが快速等が走っていなくて、各駅停車のみの運行なので、難所と言われています。で、早朝からの出発する必要があります。

 

 

始発で西明石を出て、9時半頃に尾道に着きました。

我々アラカン世代では、尾道と言えば大林宣彦監督の尾道三部作がまず思い浮かびます。しかし、今回の目的は廃墟です。

うずしお観光ビル。

1970年代にオープンした、当初はホテルだったそうです。

その後、観光ビルに転用、3階が歌謡ショー劇場、5階がレストランの健康ランドみたいな施設だったようです。

2002年頃には廃墟になっていたようです。

 

 

住宅街の中にあり、かなり特殊な形状が目を引きます。

尾道駅から歩いて30分程かかりました。この建物が建設された当時は、周囲は田畑だったみたいですが、なんでこんな場所にホテルを建てたのか理由がわかりません。

だから、廃墟になってるんでしょうね。

 

 

 

 

正面のアールの部分の窓ガラス以外は、ガラスはほぼ破損しています。

屋上にゴンドラのレールがあります。屋上を一周できたようです。

 

 

 

 

 

廃墟に行って、現役の頃に来たかったとよく思うのですが、ここもその一つです。

どんな施設だったのか見てみたかったです。

 

 

 

 

 

現在は、ゴミ置き場に使われているようです。

廃墟を訪ねた時によくありますが、思ってたより規模が小さくてすぐに一周できてしまいました。

電車に4時間揺られて、駅から30分歩いて、撮影に費やしたのが20分程度。廃墟巡りはコスパの悪い趣味だとつくづく思いました。

 

goo.gl

 

 

 

 

駅までの帰りに、昭和な雰囲気の商店街を歩いてみました。

かなり長い商店街です。

尾道と言えば、もちろんこれ。尾道ラーメンです。

暑い日だったので、ビールが美味しい。

ラーメンも美味しい。

 

 

 

この後、ロープウェイで千光寺に行ってみました。

時間が15時過ぎだったので、帰るか泊ってどこかに行くか迷うました。

 

 

 

 

2022年7月 神奈川 横須賀の猿島と戦艦三笠

2022年7月、青春18きっぷを使って横須賀の猿島に行ってみました。

猿島東京湾最大の島で、江戸時代に台場が置かれ、明治時代には要塞が建設されて、第2次世界大戦終了まで長期に渡り東京湾の防衛を担っていました。

同時期に建設された要塞は和歌山の友ヶ島と淡路島の由良要塞、広島の大久野島と愛媛の小島の芸予要塞等があります。

島には渡し船で渡ります。10分程度の船旅ですが、やはり首都圏です。人が多い。

関西では、和歌山の友ヶ島が人気で、行楽シーズンには渡し船が2時間待ちになりますが、こちらの方が船のサイズも大きくて、本数も多いです。

 

 

上陸しました。日差しが強くて暑い日でしたが、日影に入ると海からの風が心地いいです。

写真を撮り忘れましたが、桟橋にはカフェや売店があります。

 

 

石の壁の通路が長く続きます。廃墟の雰囲気を損なわないように、なるべく人が写らないように写真を撮ってますが、かなりの数の観光客が歩いています。  

 

 

 

 

 

煉瓦造りの要塞に絡む植物。定番の光景ですが、他の島の要塞に比べて歩道も周囲の環境もよく整備されていて、廃墟感は若干薄い目です。

瀬戸内海の要塞やこの猿島は、明治時代に日露戦争に備えて築かれた物で、当時はコンクリートより煉瓦の方が建築材料としての信頼性や施工性が高かったんでしょうね。

第二次世界大戦終結するまでは要塞として機能していましたが、日本の本土に敵が襲来した頃は戦争は航空機の時代にになっていて、この要塞の砲台に据えてあった大砲が火を吹く事は一度もなかったようです。

 

 

 

 

地下通路が弾薬庫や兵舎等を繋げていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

島の北側に砲台跡があります。

このコンクリート製の建物は展望台の跡でしょうか。現在は立入禁止になっています。

 

 

 

 

要塞跡をゆっくり見て歩いても2時間程度です。

森林浴をしながら、海風に吹かれて散歩をするのは気分がいいです。

 

 

www.cocoyoko.net

 

sarushima.jp

 

 

 

猿島への渡し船の桟橋の横が三笠公園になっていて、記念艦三笠が展示してあります。

初めて来ましたが、♬トンネル抜ければ~海が見えるから~ byクレイジーケンバンドのシチュエーション全開です。

日露戦争日本海海戦の旗艦だった戦艦三笠がそのまま鎮座しています。

 

 

 

一見、係留してるように見えますが、周囲はコンクリートです。

第二次世界大戦の頃の戦艦に比べると、船体はかなり小さいです。

当時の世界の列強諸国だったロシアのバルチック艦隊日本海で撃破した連合艦隊の旗艦三笠、正に国の存亡を賭けた戦争に勝利した戦艦三笠。

日露戦争のほんの40年程前まで、腰に刀を差してちょんまげを結っていた事を考えると、昔の日本人はパワフルだったんだなと感慨深いです。

 

 

 

 

 

艦内は、当時の司令官の部屋や操舵室等を見る事ができます。職員の方がガイドをして下さったので、興味深い話を色々きけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猿島の要塞と戦艦三笠、日露戦争の関連をじっくり見れた横須賀の一日でした。

 

www.kinenkan-mikasa.or.jp

 

 

 

 

2022年5月 岡山 水没したレジャー施設

2022年5月、岡山県瀬戸内市牛窓に行ってみました。

牛窓は、岡山県南東部、瀬戸内海に面して温暖な気候や穏やか海に恵まれ「日本のエーゲ海」と呼ばれ、オリーブ園、お洒落なカフェやホテル、ペンション等がありカップルやファミリーに人気の高い観光地です。

この観光地のやや外れた場所に、かつて鹿忍(かしの)グリーンパークというレジャー施設がありました。現在は、廃墟となってマニアの間では水没ペンション村と呼ばれています。

1080年頃に、元は塩田だった場所を開発して、バンガロー村やテニスコート、プールやゴルフ練習場等のある総合レジャー施設としてオープンしたようです。2000年頃に閉業したらしく、2014年頃から徐々に水没し始めて現在の状況になっています。

元々が塩田の干拓地だったので土地が海抜より低く、施設の閉鎖で海水を排出するポンプを止めたら、このような状況になったようです。

県道沿いにあるので、事情を知らないドライバーが通りかかると、驚くと思います。決して、災害で水没した被災地ではありません。

 

 

管理棟を兼ねた?レストランだった建物は、少し高い場所にあるので水没を免れています。写真には写ってませんが、おびただしい数の水鳥が生息しています。

 

 

 

 

 

軽トラックの運転席の窓の下まで水没してるので、かなりの水深になっているのがわかります。

 

 


すぐ近くの観光地はゴールデンウィークの喧騒に包まれてますが、ここだけ、まるで時間が止まったような静寂です。

時折、車が通る音と水鳥の鳴き声だけが聞こえます。

 

 

 

日本のエーゲ海とよばれる牛窓というお洒落なカフェやペンションが立ち並ぶ街の外れに、水没したバンガローがひっそりと佇んでいました。