元々は、この場所は神子畑鉱山でしたが、閉山後の1919年に、6㎞離れた明延鉱山の選鉱所として建設されました。ここから明延鉱山まで、明神電車という鉱石と人員輸送の鉄道が敷かれていて、乗客の運賃が一円だったことから、一円電車として知られていました。ここで選別された鉱石は、県内の生野鉱山の精錬所や、姫路を経て岡山県の直島精錬所に送られていたそうです。
最盛期は、約3000人が働き、東洋一の選鉱所と呼ばれていたそうです。
1987年に、明延鉱山の閉山と同時に閉鎖になりました。木造の建屋が長く残っていましたが、2004年に解体撤去されて、現在は、コンクリートの基礎の部分だけが残っています。
播但連絡道を朝来で降りて、R429を西に行くと、山の中の渓谷にちょっと立派な橋がかかっています。この辺から鉱山の跡巡りが始まります。
山道の景色が急に開けたら、目的地に到着です。ここまでの道も良く、選鉱所跡も公園として整備してあるので、アクセスの心配は全然ありません。
一円電車が展示してあります。
生野鉱山の開発に貢献したフランス人技師の元住居が移築してあり、ギャラリーになっています。
建屋がないので、廃墟というより、何かの遺跡みたいな感じです。
インクライン(ケーブルカー)の跡も残っています。
こういう場所に来た時は、もっと広角に撮れるレンズが欲しいなと思ってしまいます。
シックナー(沈殿ろ過漕)の下には多くの機械が残っています。コンクリートの柱が変色して、何かの神殿の柱のようになってます。
施設の跡には柵が設けられていて、間近で見ることはできません。年に何度かやってるイベントの時は、ガイドさんと一緒に柵の中を歩いてみることができるそうです。
選鉱所跡の近くに、この選鉱所で働いていた人の子供達が通っていた、小学校の廃墟があります。
校舎はありませんが、倉庫にでも使っていたのか、体育館の跡と校庭の遊具が残っています。
今は、雑草が生い茂る校庭ですが、かつては、これらの遊具で遊ぶ子供達の歓声が、まわりの山にこだましていたんでしょうか。聞こえるのは、木々をすり抜ける風の音だけです。
少し高くなった所に、祠があります。ここで働く人の安全を祈願した神社だったんでしょうか。
校庭が神社の境内も兼ねていたようです。
山の中なので、斜面を工夫して使っていたようです。この小学校が開校していたのは、18年間程だったそうですが、多い時は、200人程の児童が居たそうです。
かつて栄えた神子畑選鉱所、周囲の景色と共に、静かに自然の中に埋もれようとしています。