2022年7月、青春18きっぷを使って横須賀の猿島に行ってみました。
猿島は東京湾最大の島で、江戸時代に台場が置かれ、明治時代には要塞が建設されて、第2次世界大戦終了まで長期に渡り東京湾の防衛を担っていました。
同時期に建設された要塞は和歌山の友ヶ島と淡路島の由良要塞、広島の大久野島と愛媛の小島の芸予要塞等があります。
島には渡し船で渡ります。10分程度の船旅ですが、やはり首都圏です。人が多い。
関西では、和歌山の友ヶ島が人気で、行楽シーズンには渡し船が2時間待ちになりますが、こちらの方が船のサイズも大きくて、本数も多いです。
上陸しました。日差しが強くて暑い日でしたが、日影に入ると海からの風が心地いいです。
写真を撮り忘れましたが、桟橋にはカフェや売店があります。
石の壁の通路が長く続きます。廃墟の雰囲気を損なわないように、なるべく人が写らないように写真を撮ってますが、かなりの数の観光客が歩いています。
煉瓦造りの要塞に絡む植物。定番の光景ですが、他の島の要塞に比べて歩道も周囲の環境もよく整備されていて、廃墟感は若干薄い目です。
瀬戸内海の要塞やこの猿島は、明治時代に日露戦争に備えて築かれた物で、当時はコンクリートより煉瓦の方が建築材料としての信頼性や施工性が高かったんでしょうね。
第二次世界大戦が終結するまでは要塞として機能していましたが、日本の本土に敵が襲来した頃は戦争は航空機の時代にになっていて、この要塞の砲台に据えてあった大砲が火を吹く事は一度もなかったようです。
地下通路が弾薬庫や兵舎等を繋げていました。
島の北側に砲台跡があります。
このコンクリート製の建物は展望台の跡でしょうか。現在は立入禁止になっています。
要塞跡をゆっくり見て歩いても2時間程度です。
森林浴をしながら、海風に吹かれて散歩をするのは気分がいいです。
猿島への渡し船の桟橋の横が三笠公園になっていて、記念艦三笠が展示してあります。
初めて来ましたが、♬トンネル抜ければ~海が見えるから~ byクレイジーケンバンドのシチュエーション全開です。
日露戦争の日本海海戦の旗艦だった戦艦三笠がそのまま鎮座しています。
一見、係留してるように見えますが、周囲はコンクリートです。
第二次世界大戦の頃の戦艦に比べると、船体はかなり小さいです。
当時の世界の列強諸国だったロシアのバルチック艦隊を日本海で撃破した連合艦隊の旗艦三笠、正に国の存亡を賭けた戦争に勝利した戦艦三笠。
日露戦争のほんの40年程前まで、腰に刀を差してちょんまげを結っていた事を考えると、昔の日本人はパワフルだったんだなと感慨深いです。
艦内は、当時の司令官の部屋や操舵室等を見る事ができます。職員の方がガイドをして下さったので、興味深い話を色々きけました。
猿島の要塞と戦艦三笠、日露戦争の関連をじっくり見れた横須賀の一日でした。