松江を出発して何度か列車を乗り継ぎながら、萩へ向かいます。
山陰本線全体がローカル線ですが、松江から西は列車の本数も少なく、移動に時間がかかります。
青春18きっぷを使う旅行は、各駅停車の乗り降り自由な気ままな旅というイメージみたいですが、大都市に近い幹線なら列車の本数も多く、自由気ままに乗り降りできますが、ローカル線に行けば行くほど、列車の本数が少なく、事前に計画を立てないと身動きが取れなくなります。接続の列車待ちに駅から離れて予定の列車に乗り遅れたら、次は2、3時間後という状況になります。ローカル線の旅は、けっこうスリリングです。
益田で1時間程の接続時間になりました。
駅前に出てみたら、ジャズカフェがありました。昔よく行ったジャズ喫茶を思い出させるいい雰囲気のカフェでした。夜はライブもやってるそうです。この駅で降りるのは初めてですが、初めての街で、こんなお店があるとちょっと嬉しくなります。
少し早い目の昼食にしました。
萩に着きました。架線の無いレールが伸びてる景色が好きです。
ここに来るのは初めてです。高い建物が少なく空が広い街でした。
街をぶらぶら歩いて、松陰神社に行ってみました。
松下村塾。幕末の世に多くの多くの志士を生み出し、社会を変えた始まりの場所は、農家の離れみたいな小屋でした。
有名な場所ですが、いかにも観光地といった雰囲気でもなく、落ち着いた所です。
その後、街中を少し歩いてみました。
旧萩藩御舩倉。毛利家の船を係留してる倉庫です。現在は、河川改修で側には面していません。
街のあちこちに、こんな史跡が点在しています。
西に日が大きく傾いたので、今夜の宿の旅館芳和荘に行きました。ここに泊まるのが、この旅行の主な目的です。
大正時代に建設された築100年越えの木造建築。元は、梅木という名の遊郭でした。萩市の景観重要建造物に指定されています。
1958年以降に、遊郭から旅館に転業した転業旅館が多くあったらしいのですが、次第に数を減らし、後継者もいないという事情から、現在も営業しているのは、日本中で数軒になっています。元遊郭の建物は、他のどれとも違う様式の建築物です。この、独特の様式の宿で、一度泊まってみたいと思ってました。
色々と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、私も、遊郭が存在していた頃は知りませんし、郷愁などもありません。単純に建物と、その歴史の変遷に対しての興味と思って頂ければ幸いです。ちなみに、元遊郭で有名な建物としては、大阪の飛田新地の料亭、鯛よし百番があります。
現在は、この旅館のある場所は、住宅街になっていて、かつての色里だった面影はありません。この旅館が、唯一歴史を伝える建物となっています。
とても温和な感じのご主人に出迎えてもらい、チェックインしました。
部屋は4畳半の小さな部屋ですが、古いけど清掃が行き届いていて清潔に保たれています。現在は2階の9部屋だけを客室として開放してるらしいですが、館内はどこもきれいに清掃してあります。トイレは、昔ながらの汲み取りの、所謂ポットン便所ですが、不潔な感じはありません。
この建物の圧巻は、中庭とそれを取り巻く回廊です。そこに居るだけで、昔にタイムスリップしたみたいな気分です。
この日は、12月31日大晦日でした。部屋でちょっと一杯飲んだ後に、寿司でも買いに行こうと思って近くの商店やスーパーがある所まで歩いて行ってみたら、店が全部早じまいしてました。近くにコンビニも無いし、これは弱った、今晩は飯抜きかと思って歩いていたら、ファミレスが1軒だけ営業していたので、飯抜きは免れました。
宿のご主人が、宿泊客同士がかち合わないように上手く風呂の時間を調整してくれたので、風呂にもゆっくりと浸かれました。
大晦日の夜、幸せな気分で眠りにつきました。
翌朝は、ご主人の手作りの朝食を頂いて宿を後にしました。シンプルですが美味しい朝食でした。
古い建物の宿ですが、気配りが行き届いていて、非常に気分よく泊まれました。
つづく