西脇市は兵庫県のほぼ真ん中に位置し、東経135度(標準子午線)と北緯35度が交差しているとのろから、日本のへそを名乗っている街です。市街地の近くには、日本へそ公園というやや大きな公園があります。
美術家の横尾忠則の出身地でも知られていて、作品を展示した美術館もあります。
横尾さんの初期の作品のY字路のモデルになった場所です(写真は西脇市の観光ガイドから拝借しました)。
今回は、横尾作品を訪ねるのではなく、大正時代からある木造のアーケード街が目的です。
西脇は江戸時代から播州織の生産地として栄え、明治時代以降は織物工場が多く建設され生産性がアップ、第二次大戦以降1980年代半ばまで最盛期を迎えます。
街には織物工場で働く女工さんが多く居住していました。その女工さんの口に合うように作られたのが、やや甘めの味のご当地ラーメンの播州ラーメンだそうです。
女工さんが多かった頃は、女の子をナンパするなら西脇ということで、近隣から若い男が多く来訪していたそうです。私もその頃の西脇に行ってみたかったです。
播州織、現在は最盛期の10分の1以下の生産量になっています。
昭和30年代から営業している喫茶店、帰りに寄ってみようと思ってたんですが忘れて帰りました。
風呂屋も渋い風情です。
市街地を少し歩いただけなんですが、もう昭和になっています。
これは渋い、藤原歯科。現在も開業してるんでしょうか。
住宅街を歩きながらスマホで位置を確認したらありました。旭マーケット。その名称から勝手に商店街かと思ってたんですが、住宅の路地にアーケードの屋根があるといった感じです。一歩足を踏み入れると、異空間が広がります。
素晴らしい風情の旭美容室。多くの女工さんの髪をセットアップしたんでしょうか。
でも、廃屋になって久しいようです。
通路の途中に共同の洗い場があります。
このアーケードがある路地が一体何だったのか不思議な思いにとらわれます。
スタンドおきく、昔の路地によくあった風情の飲み屋です。まだ営業してるんでしょうか。
現在は何軒かの住宅に人が住んでますが、播州織の景気がよかった頃は飲み屋街だったようです。
第二次大戦後、アメリカ向けの輸出が好調で、織機が一度ガチャっと音を立てると1万円儲かると言われたガチャマン景気が西脇の街を包んでいたそうです。腹巻に札束を突っ込んだ酔っ払いが、この路地を闊歩していたんでしょうか。
一旦外に出ると、となりにも同じ路地があります。
こちらは外にも看板がありました。
再び、アーケードの異空間へと戻ります。
麻須美の向かいは初音です。
何か、少しいかがわしい雰囲気がわくわくする空間です。
これは、共同トイレと洗い場なんでしょうか。住宅地なので、勝手に覗くわけにもいかず、壁やドアの向こうは想像するだけです。
結局、この路地に居る間は誰にも会う事はありませんでした。一説には、織物工場で働く女工さんの共同住宅だったという話もありましたが、飲み屋街だったというのが正解のようです。
次に播州織工房館です。かつての織物工場を改装して播州織の歴史や製品の展示、販売をしています。
次に、もう1ヶ所のアーケードへと向かいます。
寿マーケット、旭マーケットより少し小さめのアーケード街です。
こちらも激渋、アルス写真館です。
多くの人が記念撮影に訪れたんでしょうか。
こちらは一福、飲み屋がありました。小料理屋の風情です。
リフォーム工事の会社が営業しているようです。
こちらは、鰻や鮮魚を扱っていた店のようです。
仕切りの建物の中がどうなっているのか、見てみたいです。
スナック浜がありました。小料理屋と鰻とスナックとこの路地だけで一式揃ってしまいます。
懐かしい煙草の自販機。タスポなど無用だった250円で時間が止まっています。
今回も昭和な空間にどっぷりひたれました。
このような古い建物は、建築基準法や消防法をはじめ、法律の縛りでもう2度と同じ建物が作れません。朽ちたら終わりという貴重な存在です。
昭和という時代を我々に伝えてくれる建物たちを、また探しに行ってみようと思います。