おっさんのお出かけ日記

普段はあまりお金は使わず、格安に旅行をしています。近場でぶらぶらしてる時も多いです。たまに子供(全員成人ですが)と出かけます。ブログに出先で撮った写真をまとめています。時系列はランダムです。

2022年8月 広島 尾道の廃墟とうさぎの島 その2

前日に尾道うずしお観光ビルに行き、時間が早かったので結局三原で泊まって大久野島に行くことにしました。大久野島は2回目です。

三原から呉線忠海駅でおりてフェリーに乗船します。

 

 

大久野島は、島全体が休暇村になっていて、宿泊施設やレストランを中心にキャンプ場、スポーツ施設、海水浴場、釣り場等多様なレジャー施設があるリゾートアイランドです。

多数のうさぎが生息する、うさぎの島でも有名です。

この島、かつては愛媛県の小島と共に芸予要塞として瀬戸内海の防衛を担っていました。明治時代に建設された要塞で、煉瓦造りの砲台跡や弾薬庫跡などが存在しています。

第二次世界大戦が終了するまでは一般市民は立ち入れない島でした。

1929年から1945年まで、毒ガスの研究施設と製造工場があり、一時は島の存在が地図から抹消されていたそうです。

島には毒ガス資料館があり、毒ガス工場の設備が点在しています。

 

 

宿泊施設のある管理棟で、自転車を借りて出発です。

レンタサイクルは2時間限定なので、あちこち見て回るのは結構忙しいです。

島の外周がサイクリングロードになっていて、けっこうアップダウンがあるので、電動自転車が威力を発揮します。

 

 

キャベツも昨日のうちに買っておきました。

キャベツを持って歩いてると、うさぎ達が歓迎してくれます。

 

 

 

 

以前来た時は、桜が咲いている季節だったのでうさぎ達も元気でしたが、8月の猛暑には耐えられないのか、全員日影に避難してました。

 

 

 

防空壕の入口。

防空壕にも、幹部用と一般用があったそうです。

 

 

 

 

 

毒ガスの貯蔵庫跡です。地面のコンクリートはタンクの台座でしょうか。

 

 

 

 

夏の瀬戸内海。穏やかな海です。

 

 

 

 

 

かつての毒ガス工場の廃墟に遊ぶうさぎ達、ちょっとシュールな光景です。

貯蔵庫の壁が所々が焼け焦げてるのは、第二次世界大戦終結後にこの施設を接収した米軍が、火炎放射器で焼き払った跡だそうです。

 

 

 

 

 

 

毒ガス工場の関連の施設跡は主に海岸近くにありますが、要塞跡はやや内陸にあります。

一番大きな砲台跡や要塞の中心施設につながる歩道が、ことごとく通行止めになっていました。台風の被害でもあったんでしょうか。

今回見たかった弾薬庫や兵舎、砲台跡にはたどり着けませんでした。

 

 

 

外周道路から近い場所にある砲台跡です。

いい感じで朽ちていってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発電所跡です。かなり大きな建物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の桟橋跡です。

 

 

 

 

フェリー桟橋の近くに、朽ちた神社があります。

鉱山跡にも神社の廃墟がありますが、いつも諸行無常という言葉が思い浮かびます。

台風が直撃したのか、以前より荒れています。

 

 

 

 

 

 

最後に灯台に立ち寄って、大久野島を後にしました。

さらば、うさぎ達。また会う日まで。

 

 

 

 

www.qkamura.or.jp

 

 

2022年8月 広島 尾道の廃墟とうさぎの島 その1

青春18きっぷを使って尾道に行ってみました。

青春18きっぷの場合、姫路から岡山までが快速等が走っていなくて、各駅停車のみの運行なので、難所と言われています。で、早朝からの出発する必要があります。

 

 

始発で西明石を出て、9時半頃に尾道に着きました。

我々アラカン世代では、尾道と言えば大林宣彦監督の尾道三部作がまず思い浮かびます。しかし、今回の目的は廃墟です。

うずしお観光ビル。

1970年代にオープンした、当初はホテルだったそうです。

その後、観光ビルに転用、3階が歌謡ショー劇場、5階がレストランの健康ランドみたいな施設だったようです。

2002年頃には廃墟になっていたようです。

 

 

住宅街の中にあり、かなり特殊な形状が目を引きます。

尾道駅から歩いて30分程かかりました。この建物が建設された当時は、周囲は田畑だったみたいですが、なんでこんな場所にホテルを建てたのか理由がわかりません。

だから、廃墟になってるんでしょうね。

 

 

 

 

正面のアールの部分の窓ガラス以外は、ガラスはほぼ破損しています。

屋上にゴンドラのレールがあります。屋上を一周できたようです。

 

 

 

 

 

廃墟に行って、現役の頃に来たかったとよく思うのですが、ここもその一つです。

どんな施設だったのか見てみたかったです。

 

 

 

 

 

現在は、ゴミ置き場に使われているようです。

廃墟を訪ねた時によくありますが、思ってたより規模が小さくてすぐに一周できてしまいました。

電車に4時間揺られて、駅から30分歩いて、撮影に費やしたのが20分程度。廃墟巡りはコスパの悪い趣味だとつくづく思いました。

 

goo.gl

 

 

 

 

駅までの帰りに、昭和な雰囲気の商店街を歩いてみました。

かなり長い商店街です。

尾道と言えば、もちろんこれ。尾道ラーメンです。

暑い日だったので、ビールが美味しい。

ラーメンも美味しい。

 

 

 

この後、ロープウェイで千光寺に行ってみました。

時間が15時過ぎだったので、帰るか泊ってどこかに行くか迷うました。

 

 

 

 

2022年7月 神奈川 横須賀の猿島と戦艦三笠

2022年7月、青春18きっぷを使って横須賀の猿島に行ってみました。

猿島東京湾最大の島で、江戸時代に台場が置かれ、明治時代には要塞が建設されて、第2次世界大戦終了まで長期に渡り東京湾の防衛を担っていました。

同時期に建設された要塞は和歌山の友ヶ島と淡路島の由良要塞、広島の大久野島と愛媛の小島の芸予要塞等があります。

島には渡し船で渡ります。10分程度の船旅ですが、やはり首都圏です。人が多い。

関西では、和歌山の友ヶ島が人気で、行楽シーズンには渡し船が2時間待ちになりますが、こちらの方が船のサイズも大きくて、本数も多いです。

 

 

上陸しました。日差しが強くて暑い日でしたが、日影に入ると海からの風が心地いいです。

写真を撮り忘れましたが、桟橋にはカフェや売店があります。

 

 

石の壁の通路が長く続きます。廃墟の雰囲気を損なわないように、なるべく人が写らないように写真を撮ってますが、かなりの数の観光客が歩いています。  

 

 

 

 

 

煉瓦造りの要塞に絡む植物。定番の光景ですが、他の島の要塞に比べて歩道も周囲の環境もよく整備されていて、廃墟感は若干薄い目です。

瀬戸内海の要塞やこの猿島は、明治時代に日露戦争に備えて築かれた物で、当時はコンクリートより煉瓦の方が建築材料としての信頼性や施工性が高かったんでしょうね。

第二次世界大戦終結するまでは要塞として機能していましたが、日本の本土に敵が襲来した頃は戦争は航空機の時代にになっていて、この要塞の砲台に据えてあった大砲が火を吹く事は一度もなかったようです。

 

 

 

 

地下通路が弾薬庫や兵舎等を繋げていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

島の北側に砲台跡があります。

このコンクリート製の建物は展望台の跡でしょうか。現在は立入禁止になっています。

 

 

 

 

要塞跡をゆっくり見て歩いても2時間程度です。

森林浴をしながら、海風に吹かれて散歩をするのは気分がいいです。

 

 

www.cocoyoko.net

 

sarushima.jp

 

 

 

猿島への渡し船の桟橋の横が三笠公園になっていて、記念艦三笠が展示してあります。

初めて来ましたが、♬トンネル抜ければ~海が見えるから~ byクレイジーケンバンドのシチュエーション全開です。

日露戦争日本海海戦の旗艦だった戦艦三笠がそのまま鎮座しています。

 

 

 

一見、係留してるように見えますが、周囲はコンクリートです。

第二次世界大戦の頃の戦艦に比べると、船体はかなり小さいです。

当時の世界の列強諸国だったロシアのバルチック艦隊日本海で撃破した連合艦隊の旗艦三笠、正に国の存亡を賭けた戦争に勝利した戦艦三笠。

日露戦争のほんの40年程前まで、腰に刀を差してちょんまげを結っていた事を考えると、昔の日本人はパワフルだったんだなと感慨深いです。

 

 

 

 

 

艦内は、当時の司令官の部屋や操舵室等を見る事ができます。職員の方がガイドをして下さったので、興味深い話を色々きけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猿島の要塞と戦艦三笠、日露戦争の関連をじっくり見れた横須賀の一日でした。

 

www.kinenkan-mikasa.or.jp

 

 

 

 

2022年5月 岡山 水没したレジャー施設

2022年5月、岡山県瀬戸内市牛窓に行ってみました。

牛窓は、岡山県南東部、瀬戸内海に面して温暖な気候や穏やか海に恵まれ「日本のエーゲ海」と呼ばれ、オリーブ園、お洒落なカフェやホテル、ペンション等がありカップルやファミリーに人気の高い観光地です。

この観光地のやや外れた場所に、かつて鹿忍(かしの)グリーンパークというレジャー施設がありました。現在は、廃墟となってマニアの間では水没ペンション村と呼ばれています。

1080年頃に、元は塩田だった場所を開発して、バンガロー村やテニスコート、プールやゴルフ練習場等のある総合レジャー施設としてオープンしたようです。2000年頃に閉業したらしく、2014年頃から徐々に水没し始めて現在の状況になっています。

元々が塩田の干拓地だったので土地が海抜より低く、施設の閉鎖で海水を排出するポンプを止めたら、このような状況になったようです。

県道沿いにあるので、事情を知らないドライバーが通りかかると、驚くと思います。決して、災害で水没した被災地ではありません。

 

 

管理棟を兼ねた?レストランだった建物は、少し高い場所にあるので水没を免れています。写真には写ってませんが、おびただしい数の水鳥が生息しています。

 

 

 

 

 

軽トラックの運転席の窓の下まで水没してるので、かなりの水深になっているのがわかります。

 

 


すぐ近くの観光地はゴールデンウィークの喧騒に包まれてますが、ここだけ、まるで時間が止まったような静寂です。

時折、車が通る音と水鳥の鳴き声だけが聞こえます。

 

 

 

日本のエーゲ海とよばれる牛窓というお洒落なカフェやペンションが立ち並ぶ街の外れに、水没したバンガローがひっそりと佇んでいました。

 

 

 

 

 

2022年5月 鳥取 竹林の廃線跡


2022年5月鳥取県の旧国鉄倉吉線の廃線跡に行ってみました。

かつて、現在のJR倉吉駅から関金の山守駅までの約20kmの区間を結んでいました。

1912年に倉吉軽便鉄道として開業し1958年に山守駅までの全線が開業、倉吉から山守まで9駅の路線でした。1985年に廃止になっています。

関金にある泰久寺駅跡から山守トンネル入口付近までがレールやホーム跡が残り、廃線跡の散策が近年、人気になっています。

関金温泉の街外れにこの廃線跡があります。

車が無いと行きにくい場所ですが、廃線跡の入口付近に駐車場があります。

 


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白壁の土蔵の横をかつては列車が走っていました。


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長閑な田園風景の中に廃線跡はあります。

線路が残る区間には、鉄道が稼働していた頃の雰囲気が色濃く残っています。


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泰久寺跡の案内板から、かつての雰囲気が残る線路跡を歩く区間になります。

これから先の線路跡が自然に埋もれていってます。

 

 

泰久寺駅のホーム跡。美しく朽ちています。

廃線跡の徐々に自然に埋もれていく風情がたまりません。ホームで待っていたら、景色と同じように朽ちた列車がやってきそうです。

 

 

 

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廃線跡は竹林に埋もれつつある区間へと続きます。

朽ちていく線路と竹林のコントラストが、まるで絵画のように美しいです。

この日は、晴れたり曇ったり小雨が降ったりと、目まぐるしく変わる天気でしたが、日差しがあると竹林からの木漏れ日が、情感豊かな景色を紡ぎます。


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竹林を抜けて雑木林になると、トンネルの入口が現れて、この美しい廃線跡の終点です。

トンネルにはバリケードが設置してあって中に入る事はできませんが、廃線跡のハイキングツアーに参加すれば、トンネルの中を歩くことができるそうです。

来た道を戻ることにします。

 


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泰久寺駅跡に着いたら、廃線跡の短い旅が終わります。

線路がそのままなので、列車が走っていた時の雰囲気を色濃く残した廃線跡でした。

竹林の区間は、絵画か水墨画のような美しさです。雪の季節には、また違う景色なのでしょうね。

この区間とは別に倉吉線記念館もあるので、訪れるのもいいかも知れません。

 

www.kurayoshi-kankou.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月 西脇 大正時代のアーケード

2022年1月30日、兵庫県西脇市に行ってみました。

西脇市兵庫県のほぼ真ん中に位置し、東経135度(標準子午線)と北緯35度が交差しているとのろから、日本のへそを名乗っている街です。市街地の近くには、日本へそ公園というやや大きな公園があります。

美術家の横尾忠則の出身地でも知られていて、作品を展示した美術館もあります。

横尾さんの初期の作品のY字路のモデルになった場所です(写真は西脇市の観光ガイドから拝借しました)。

 

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今回は、横尾作品を訪ねるのではなく、大正時代からある木造のアーケード街が目的です。

西脇は江戸時代から播州織の生産地として栄え、明治時代以降は織物工場が多く建設され生産性がアップ、第二次大戦以降1980年代半ばまで最盛期を迎えます。

街には織物工場で働く女工さんが多く居住していました。その女工さんの口に合うように作られたのが、やや甘めの味のご当地ラーメンの播州ラーメンだそうです。

女工さんが多かった頃は、女の子をナンパするなら西脇ということで、近隣から若い男が多く来訪していたそうです。私もその頃の西脇に行ってみたかったです。

播州織、現在は最盛期の10分の1以下の生産量になっています。

昭和30年代から営業している喫茶店、帰りに寄ってみようと思ってたんですが忘れて帰りました。

 

 

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風呂屋も渋い風情です。

 

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市街地を少し歩いただけなんですが、もう昭和になっています。

 

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これは渋い、藤原歯科。現在も開業してるんでしょうか。

 

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住宅街を歩きながらスマホで位置を確認したらありました。旭マーケット。その名称から勝手に商店街かと思ってたんですが、住宅の路地にアーケードの屋根があるといった感じです。一歩足を踏み入れると、異空間が広がります。

 

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素晴らしい風情の旭美容室。多くの女工さんの髪をセットアップしたんでしょうか。

でも、廃屋になって久しいようです。

 

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通路の途中に共同の洗い場があります。

このアーケードがある路地が一体何だったのか不思議な思いにとらわれます。

 

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スタンドおきく、昔の路地によくあった風情の飲み屋です。まだ営業してるんでしょうか。

現在は何軒かの住宅に人が住んでますが、播州織の景気がよかった頃は飲み屋街だったようです。

第二次大戦後、アメリカ向けの輸出が好調で、織機が一度ガチャっと音を立てると1万円儲かると言われたガチャマン景気が西脇の街を包んでいたそうです。腹巻に札束を突っ込んだ酔っ払いが、この路地を闊歩していたんでしょうか。

 

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一旦外に出ると、となりにも同じ路地があります。

こちらは外にも看板がありました。

再び、アーケードの異空間へと戻ります。

 

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麻須美の向かいは初音です。

何か、少しいかがわしい雰囲気がわくわくする空間です。

 

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これは、共同トイレと洗い場なんでしょうか。住宅地なので、勝手に覗くわけにもいかず、壁やドアの向こうは想像するだけです。

 

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結局、この路地に居る間は誰にも会う事はありませんでした。一説には、織物工場で働く女工さんの共同住宅だったという話もありましたが、飲み屋街だったというのが正解のようです。

次に播州織工房館です。かつての織物工場を改装して播州織の歴史や製品の展示、販売をしています。

 

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www.umekichi-tmo.jp

 

次に、もう1ヶ所のアーケードへと向かいます。

寿マーケット、旭マーケットより少し小さめのアーケード街です。

 

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こちらも激渋、アルス写真館です。

多くの人が記念撮影に訪れたんでしょうか。

 

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こちらは一福、飲み屋がありました。小料理屋の風情です。

 

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リフォーム工事の会社が営業しているようです。

 

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こちらは、鰻や鮮魚を扱っていた店のようです。

 

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仕切りの建物の中がどうなっているのか、見てみたいです。

スナック浜がありました。小料理屋と鰻とスナックとこの路地だけで一式揃ってしまいます。 

 

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懐かしい煙草の自販機。タスポなど無用だった250円で時間が止まっています。

 

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今回も昭和な空間にどっぷりひたれました。

このような古い建物は、建築基準法や消防法をはじめ、法律の縛りでもう2度と同じ建物が作れません。朽ちたら終わりという貴重な存在です。

昭和という時代を我々に伝えてくれる建物たちを、また探しに行ってみようと思います。

 

 

 

2022年1月 岡山 ロープウェイの廃線跡と山の上の遊園地

2022年1月4日、青春18きっぷの残りを使おうと思って、岡山のロープウェイの廃線跡に行ってみました。

1956年に山上の京山八方閣へのアクセスとして開通し、山上が京山ロープウェイ遊園に発展、1998年に閉園後、経営が変わって岡山スカイガーデンととして再オープン、2007年に遊園地の閉鎖と同時に廃止になったようです。

高低差58m、全長160mで一時は全国で一番距離の短いロープウェイだったそうです。

現在はロープウェイの鋼索やゴンドラは撤去されていますが山麓、山上の駅が現存しています。

JR岡山駅から20分程度歩くと池田動物園があります。隣接して遊園地がありました。動物園と遊園地をセットで一日遊ぼうというファミリーも多かったと思います。特に、アクセスがロープウェイというシチュエーションには、子供達は喜んだんじゃないでしょうか。

ロープウェイの切符売場が、まるで現在も稼働しているような佇まいです。

 

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乗場に続く階段です。階段を上ると、ロープウェイに乗車できそうな雰囲気です。

 

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ホームへの通路には柵があって先へは進めません。

この通路を、子供達はわくわくしながら歩いていたんでしょうか。

かつて、多くの歓声が沸き上がっていたであろうホームには、もうロープウェイのゴンドラが到着することはありません。

 

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ロープウェイの軌道の跡がハイキングコースになっていて、山上まで歩くことができます。階段も設置してありますが、非常に歩きにくいハイキングコースです。

途中にロープウェイの設備の一部だったのか、コンクリートの建造物があります。

 

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お世辞にも快適とは言えない登山道を上ると山上駅が現れます。こちらも現役当時の佇まいです。

 

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山上駅に到着すると、眼下に岡山の街が一望できます。ここに到達するまでの登山道、距離は短いけど傾斜がきつくて汗をかきました。

 

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山上駅のロープウェイの管制室、事務室のドアが施錠もされずに中に入れますが、廃墟によくある人為的な破壊や落書きは全然ありません。さすがに傾斜のきつい山道を歩いて、下らない事をする輩はいないみたいです。

 

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山上駅のホームを抜けたら遊園地へのゲートウェイです。

 

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展望デッキだったような場所をいくつか通ると、遊園地のランドマークだった円形の建物が現れます。

現役時代は京山タワーと呼ばれ、展望台やレストランだったそうです。現在は京山ソーラーグリーンパークという、太陽光発電と植物工場を連携させた生産、研究施設として稼働しているそうです。

 

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現役で稼働している建物ですが、廃墟感は満載です。

 

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かつては、観覧車やメリーゴーランド等の遊具が設置してあったそうですが、現在は撤去してありません。

現役で稼働していた頃に来たことはないのですが、敷地の規模やレイアウトから思うに、比較的小さな子供のいるファミリー向けの遊園地だったんではなかったんでしょうか。

 

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通路を歩いていると、うっそうと伸びた草木の間から、時折ジェットコースターのレールのような物が見え隠れしています。

 

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やはりジェットコースターのレールだったみたいで、乗場に着きました。

ペアで乗車する規模の小さなジェットコースターだったようです。

 

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草木に埋もれたレールですが、かつては多くの歓声がこだましていたんでしょう。

親子で遊ぶにはちょうどいいジェットコースターだったようです。

 

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イベント広場の看板が残っています。

林になってしまった園内には、いくつかの遊具が草に埋もれています。

 

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野外イベントの会場だったんでしょうか。広場と段になった客席のようなスペースがありました。

 

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次に、退役した航空自衛隊の戦闘機ロッキードF104Jが展示してあります。この戦闘機は1960年代から80年代半ばにかけて配備されていた物です。

 

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この戦闘機が展示してある付近は、手入れがされているみたいで、非常にきれいに保たれています。

 

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戦闘機の横の草むらには、遊具が放置されていました。

 

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伸びた草木の間から所々見え隠れするジェットコースターのレールを眺めながら、来た道を戻りました。

荒れた風情がなくて、静かに朽ちていく遊園地の跡、とても風情のある廃墟でした。

かつては笑顔があふれていたことを想像すると、切ないような物悲しい気分になりました。

 

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